先日、CHANT WEBで記事にしていただきました。
記事を書いてくれた天野さんは大学時代からの親友です。
19歳の時に出会った彼女はいつも隣で私を見てきてくれました。
真面目で、ハチャメチャで、面白くて、どこかズレてて、やろうと思ったことはなんでもできちゃう彼女。
大学時代は「飲もうよ~」と片手に酒瓶を持って歩いて我が家に遊びに来てくれました。(そんなわけで彼女のあだ名は一時期「李白」でした。)
9.11直後のニューヨークへ一緒に旅行した際には、折角就職した大手メーカーを辞めるの辞めないのと言いながら「仕事をもうちょっと頑張るためにこの高級バッグを買う」と言って大きなバッグを購入。
(彼女はその後間もなく転職してました。)
私が九州に出張に行った際には、ちょうど彼女は記者として博多に赴任していて、仕事以外の時間は付きっ切りで博多の街を案内してくれました。
それは蒸籠の中に放り込まれたような暑い夏で、久しぶり~!と再会した時に彼女が着ていたロイヤルブルーのカットソー、一人暮らしのマンションの小さな玄関にはどう見ても不釣り合いな大きくて真っ白な百合、彼女の部屋の雑然としているようでどこかホッとする雑貨たち。
どこか天然で素敵なこの人のセンスが私は大好きです。
そんな彼女が記事にしたいと言ってくれて、この人は私の凡そを知っているからなぁ‥それに大成功しているわけでもない私を書いた記事に興味を持ってもらえるのかな‥とドキドキしましたが書いてもらうことにしました。
古き良き大手企業から数十人規模のIT企業へ転職し、そして今は個人事業主になった私ですが、働くということについてはずっと考えてきました。 ずっと?いや、ずっとではないか、でもしょっちゅう考えたな、と自分でもわけが分からなくなるということは多分結構な時間を費やして考えてきたんだと思います。
おそらく大学時代にアルバイトを始めたぐらいから、働くってことがどういうことなのかと気になっていたんでしょう。
バイト先のテーブルを拭くのだって、大事な仕事だよね。醤油さしを持ち上げて、その下もちゃんと拭いて更に液だれも拭き取れるかが重要だよね、なんてことを、サイゼリヤのドリンクバーをひたすらおかわりしながら話していた気がします。
その後、司法試験を受験して、諦めて、就職して、結婚して、転職して、出産して、、という時間の中で進路を変えた出来事や人生観が大きく変わるようなアクシデントもありましたが、それら全部が今の自分を作っているなぁと感じています。 挫折も含めどれも無駄だったとも不要な回り道だったとも思いません。
で、これからどうしたいの?何をやっていくの?とよく聞かれるのですが、それを毎日考えながら目の前のことに悪戦苦闘しています。
でもどうありたいのかについては何年も前から変わらないものがあります。 私は穏やかに情熱的でありたいと思っています。 エネルギーを爆発させるのではなくて、普通の、ちょっと小さめぐらいの炎を心の中でずーっと燃やしているようなイメージです。 その炎を時々大きくしたり小さくしたりしながらも消すことなく疲れない程度に燃やし続けていることがポイントです。 ソフトに、でも見た目に分からない程度にメラメラ。 目の前の人に温かさを届け、幸せにし、自分も喜んで、楽しんでいきたいと思っています。それが私の消したくない炎で、この記事で書いていただいた「居場所をつくること」になると思っています。
「居場所をつくる」というと「ずっといる場所」のようなイメージがありますが、一瞬、心を開放してリラックスできたり、心の窓をそっと開けて風の通り道を作ったり、ホッとしたり、ふっと笑顔になれたり、「今日ここにきて良かったと思える場所」とイメージしています。
「居場所=いつ来てもいい場所」という感じでしょうか。
言語化が難しいですね。
最終的には自分の居場所を作るということなんだろうと思います。
誰かの居場所をつくることによって、そこが私の居場所にもなる気がするのです。
心を尽くせる場所、自分を表現できる場所が私にとっての居場所なのかもしれない。
それは仕事なの?と問うと違うような気もしますが、私の人生にとって居場所はとても重要なことなのです。
家族、友人、大切なもの、守らなくちゃいけないものはあるけど、
たまには “ただの自分” になって心を泳がせ遊ばせられるような秘密基地のようでいてオープンな場所。
そういうものを作りたいんです。
まだまだ、道の途中です。
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